◆◆◆投稿者のページ◆◆◆

■■佐々木 行さん(2)■■
寄稿者のご紹介

早稲田の杜 2015年 夏号(VOL33)より転載


◆宇野千代の『おはん』の世界◆
岩国を訪ねました


◆折口信夫の『死者の書』◆


◆折口信夫『死者の書』その2◆



◆ストーンヘンジ◆
◆60年目の対面◆

あたりに樹木が一本もない広い野原に「巨石群」があった。  直径およそ100メートルの円形の区画、その中央部にもう一つの差し渡し30メートルほどの丸い区切り、そこに横幅と厚さ各1メートルくらい、長さ(高さ)7~8メートルの大きな灰色の石柱が約20基、 それが3~4基ずつで一つの群(塊)になっていた。 それぞれの群れごとに、或いは直立し、或るものは地面に横倒しに、また別のは、垂直な二基の立石のてっぺんに、三基めがこの二基をつなぐ梁状に横たわり、(トリリトン=三石塔)と、さまざまな姿、形を成している珍しい光景であった。  説明版に曰く ー 「ストーンヘンジはこの風景の中の最初のモニュメントではなかった。 この地域は新石器時代の人々にとって石造り(の工事?)が始まる数百年前から大事な意味を持つところであった。
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■■佐々木 行さん(1)■■

JR中央本線を甲府から更に西へ約五十キロメートル、八ヶ岳連峰を右手前方に見ながら長野県に入り~~




 靱(うつぼ)公園にある梶井基次郎の文学碑「びいどろと云ふ色硝子で……」(『檸檬 (れもん)』の一節)を再確認したあと、なにわ筋~~


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寄稿 : 佐々木  行さん
 万葉集の東歌のなかに千曲川を詠った歌が二首あり、その一つ 「信濃なる 千曲(ちぐま)の川の~~
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太宰治の作品『思い出』と『津軽』とは、内容的につながりが深い. 特に前者を後者への導入部分として読むと、『津軽』の中に~~

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◇利根川 - 橋と文学....◇

関東地方を北西から南東にかけて流れ、太平洋に注ぐ大河。古くから板東太郎の名で 親しまれ、延長298.2キロ、大小の支流285、流域面積16,840平方キロ、その利根川に架かっている ~~


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◇この橋何歩、一、二、三、四....◇

『―まえがきー』

いつのまにか、橋の上を歩くときは歩数をかぞえるようになっていました。やがて、歩数をかぞえるために、わざわざ橋を訪ねて渡るようにもなりました。

1.旧東海道

“神田の八丁堀に独り住みの弥次郎兵衛と北八が、花のお江戸を立ち出る”のは 日本橋から。欄干の龍の姿を見ながら渡りおえると~~


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■■Mr. T. Ito■■

縄文を読み解く


◆Page 1
...今から5,500年前~4,000年前の縄文時代の集落で、長い間にわたり定住生活が営まれた遺跡です。 三内丸山遺跡の発掘と研究で狩猟採取であった縄文人が1,500年にわたり定住していた事が分かり、縄文のイメージを変えました。
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**** 本文はイメージをクリック ...縄文と翡翠と三種の神器 日本列島に北から、南から人々が移住し縄目文様を施した土器を使い始める今から16,000年前から2,300年前を縄文時代と呼んでいます。豊かな自然に恵まれ、四季折々の食べ物、海の幸、山の幸が溢れた環境で狩猟採取の定住生活が始まりました。
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◆Page 3
...韓国 〜日本との繋がりを訪ねて 日本との歴史的文化的なつながりを探しに、シカゴの先輩お二人と、百済であった光州、 扶余、新羅であった慶州、伽耶であった釜山をまわる韓国旅行をしました。
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◆Page 4
...縄文時代に生まれた風習が渡来文化と混じり合い、現代でも行われている風習がたくさんあります。 代表的な例は鏡餅と鳥居にかかっている〆縄です。縄文時代の人々は蛇をトーテムとして崇めており、蛇がとぐろを巻いた形が鏡餅になり、蛇が交尾し絡み合った形が〆縄になったと言われています。
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◆Page 5
...古代人の精神はあの世とこの世をつないだままの状態である。人の力を超えた存在が精霊・タマであり、神々の奥に古層の神が存在する。 これは民俗学者の折口信夫の見解の一部です。 私は折口先生の感性と洞察力の素晴らしさに感銘を受けています。古層の神を探しに、そして隠された古代史の発見に奈良の三輪山とその近郊にある遺跡の見学に行きました。
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◆Page 6
...日本の文化には征服した相手を完全に破壊・殲滅する文化はありません。宗教でも従来から存在した自然崇拝、日本古来の宗教を抹殺することなく、仏教と上手く共存共栄しました。その対照的な例はキリスト教伝道師によるマヤ文献の焼却です。血生臭い宗教行事があったマヤ文明はキリスト教徒の目には邪悪な習慣・文化としか見えず、
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シルクロードを訪ねて
◆Page 1 火の国アゼルバイジャン


アゼルバイジャンはカスピ海と黒海に囲まれコーカサス山脈の南に位置し、人口 1000万、国土は日本の4分の1で北海道よりやや広い国土です。 ペルシャ語で「火の国」という意味のアゼルバイジャン、カスピ海に面しシルクロードの要衝として栄え、元ソビエト連邦であり、今では石油と天然ガスで潤う国で

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■■故 村田忠夫さん■■
◇◇ガラパゴス諸島への旅◇◇


今回の私の旅の目的地は、エクアドルの西1000キロに浮かぶ赤道直下の1-キト市街 火山群島で希少な生き物があふれるガラパゴス諸島でした。1835年にイギリス 人チャールス・ダーウインが、ガラパゴス諸島に生存する動植物の調査を念入り に行い、それが「進化論」の着想を得ることになったのは有名です。 その他、エクアドルの首都キト(Quito)やエクアドルの最大商業都市グアヤクイール (Guayaquil)3-グワヤキルにも立ち寄りました。 旅の日程は、2011年1月21日から28日までの8日間で、イリノイ大学、 その他5大学の同窓会に所属する32人のメンバーが参加しました。旅の1日目 は、全米各地からの参加者が、キトで現地集合しました。その後2日間キト市街 地や近辺をバスで観光しました。キトは赤道直下

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南極への旅=村田忠夫さんの写真で仕立てたスライド
◇世界遺産をめぐる旅◇

チャーター機で11ヶ国
15遺跡を22日間で

寄稿:村田忠夫さん
全文と写真はここ、13箇所の詳細案内はリンクでどうぞ


最近誰でも海外旅行に出かけますが、1960年前後の私が大学生の頃、日本政府は海外に200ドル以上の外貨持ち出しを禁止していて、 海外に観光旅行に出かける人は稀でした。私のその頃の一つの夢は、世界旅行をすることでした。その夢を実現したいと思い、 私は1962年にイリノイ大学(アーバナ校)に留学しました。修士及び博士課程を終え、1966年からは同大学(シカゴ校)で教鞭を執るようになり、 現在は特別名誉教授(Distinguished Professor Emeritus) として勤務 しています。 過去40年間、ほとんど毎年のように、国際会議に出席したり、招待講演をしたりと、世界各地を訪れる機会があり、 数多くの世界遺産及び興味深い場所を訪問出来、留学前の夢はほぼ実現しました。 そして、今年1月には、チャーター機で11カ国15箇所の世界遺産を22日間で訪問する「世界一周旅行 >>
寄稿全文はここからです

■■故  佐藤之彦さん■■
◇◇火炎樹の下で◇◇
「その1」~「その14」

「その1」から
(クレメンテイ-)

3月下旬、明け方からの雷雨が上がり日差しが戻って来た日の午前。島西部ジュロンからバスに乗った。午前10時、たった今雨が上がったばかりなのに既に30度を越えた様子であった。しかしExpress502の2階建て路線バスの内部はエアコンがよく効き涼しく清潔で快適であった。時間帯のせいか客もちらほら、バスの上階に登り濃い緑の並木を眺め続けた。20分過ぎバスはクレメンテイ-の駅を過ぎて左に曲がり停まった。バスを降りてから都心に向うバスを見送る様にして道の反対側に渡った。そして言われた通りの道順で歩き始めた。むっとした熱気が体を包んだ。白いペンキが塗られた高層のアパートが立ち並ぶほとりを歩が、空間だけは広く取ってあり窮屈さは感じない。やがて濃い茶色に塗装されたコンクリートの4階立てのアパートが現れその壁に354の番号が見つかった。1階が全て店舗でそのアパートはコの字型に長く続いていた。最初の角の店は観賞魚の販売店でそこからアパートの軒先を歩いた。2階からがせり出して屋根となった部分はわずか両手を広げた位の幅そこをゆっくりと小店をのぞきながら歩いた。ビデオ屋 牙医(歯医者) パン屋 雑貨屋 床屋はマレー式と髪結いと普通の店 人体図が異様なマッサージ店 電気店等々、遠い昔日本にも沢山あった路地裏の匂いがなつかしく思い出されていた。やがてスーパーで角を曲がるとクリニックがありマレー式ドレメ兼即売所と額縁製造販売に薬屋と途切れることなく続いていた。そしてほぼ中央の仏具屋の手前に階段がありそこを上がった。登るにつれて電気ドリルで何かを掘削する音が聞こえて来た。階段は4つ折れしていきなり3階の廊下に出た。3階の廊下は左右にそれぞれ2つのアパートがありそこ以外の何処にも行けなくなっていた。ドリルの音が煩く他の全ての音を遮っていた。外は1m位の高さの壁だけですぐ長方形の芝生が大きく広がっていた。その後ろはそれよりもはるかに広い野外駐車場になっていた。真中に大きな木が5-6本植えてあり、数台の車がその木陰に隠れる様に駐車していた。その駐車場の奥は緑のドーム型屋根を持ったモスク(回教寺院)であった。モスクの前は少し小高くなった芝生に覆われ、その芝生が美しく輝いて畝っていた。 階段左側の手前の家からガ-ンと言う音と一緒に薄いほこりの雲が廊下に流れ出ていた。 多分この家だと思い開かれたドア-から中をのぞき見た。若い左官屋がのろのろと動いていた。主
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◆その2

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