写真は一部寄稿者のものではありません。

東西を結ぶ隊商路を進む
『シルクロードを訪ねて』 
『ページ 1 火の国 アゼルバイジャン』
寄稿 : Mr. Tom Ito
シカゴの友人と10月25日から30日までアゼルバイジャンを訪問しました。アゼルバイジャンはカスピ海と黒海に囲まれコーカサス山脈の南に位置し、 人口 1000万、国土は日本の4分の1で北海道よりやや広い国土です。 ペルシャ語で「火の国」という意味のアゼルバイジャン、カスピ海に面しシルクロードの要衝として栄え、元ソビエト連邦であり、今では石油と天然ガスで潤う国で埋蔵量は200兆円もある豊かな国です。 首都は、「風が吹く街」という意味の「Baku」(バクー)。首都バクーは、アゼルバイジャンの東、カスピ海沿いにありフレームタワーやヘイダル・アリエフ・センターに代表される美しい建築物がたくさん建つ近代的な町です。
国旗は上から水、赤、緑色の横3色で、中央に三日月と八角星を配した旗で、八角星の8本の光は8グループのチュルク系民族を象徴している。水色はチュルク人、緑はイスラム、赤は進歩を表している。 今回の旅行で同行したガイドのナルギズさんによると、アゼルバイジャンは多くの少数民族からなり、アルタイ語族チュルク語族で、アゼルバイジャン、トルコ、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、ウイグルなど。

(ちなみにペルシア語族はペルシア、タジキスタンなどです)ユーラシア大陸を横切って広範囲に分布する。社会的文化的にも遊牧民と農耕民の両方を含みきわめて多様である。 宗教はイスラム教が95%と多い(うちシーア派:スンニー派=7:3)ですがイスラム色は薄く、酒類も街中で広く販売されています。レストランでの飲酒も出来ます。また、モスク等の限られた場所を除いて、 女性の服装も自由です。モスクに入る時、女性はスカーフを着けなければならなく、入り口にスカーフが準備されてます。
10月26日

コブスタン(Qobustan)見学

バクーから南西に車で約1時間半かかるところにあるコブスタンは、 「ロック・アートと文化的景観」として世界遺産に登録されていて、旧石器時代から中世までの様々な岩絵があります。 ゴブスタンとは、「峡谷の地」という意味だそうです。スタンはペルシャ語に由来する言葉で、地名や民族の名称の語尾につけて地名を表します。


コブスタンの場所は現在ではカスピ海からかなり離れていますが、当時 ここの岩山に人々が住んでいた時は、カスピ海の水面は高く、沿岸はこのコブスタン近くにありました。 カスピ海の水面は気候変動により変化して、 コブスタンの洞窟にも、カスピ海の水面の上下変化の痕跡が見られます。



宗教的な舞踏、闘牛、武装した漕ぎ手の乗る小舟、槍を携えた戦士、ラクダの商隊、 岩絵は60万点を超えており描かれているのは、太古の人類や動物、戦い、太陽や星々など5000年から20000年前に描かれた。 コブスタンのシャーマンの絵が日本の山内丸遺跡から出土した縄文時代のシャーマンにそっくりなのは驚きました。一神教の原点ともいえるゾロアスター教が確立するまで、 この地域でもシャーマニズムがあったようだ。



人間は余裕が生まれると絵、彫刻などの芸術作品を作るようだ。2万年前にフランスのラスコー洞窟で描かれた壁画、

縄文人の土偶・土器などもそれだ。コブスタンでは岩にシャーマンを描いていますが、縄文人はシャーマンを土器に描きました。両方とも形やポーズが似ています。 参考まで、南方のシャーマンも形やポーズが似ています。偶然の一致と言うよりはシャーマンのイメージは世界共通なようです。








昼食

チョウザメのシシカバブとアゼルバイジャン特有のザクロ ワイン。 チョウザメは脂ものっており大変美味しく、ザクロ ワインもクセがなく美味しです。

ゾロアスター寺院 〜 Ateshgah (拝火教寺院)

ゾロアスター教は紀元前7世紀ごろに、メディアでゾロアスターと言う人物が創立したイラン人の民族宗教で、善または光の神 アフラ=マスダと、悪または闇の神  アーリマンが対立することで世界は均衡を保っていると言う考え方がベースの宗教。ゾロアスター教は善、すなわち神と悪とすることで唯一の神の概念が生まれ、一神教の原点となった。


7から8世紀にかけてイスラム教が広がりゾロアスター教は衰退します。 イスラム教の流入によりこの地を追われたゾロアスター教徒は、インド北西部へと逃れ、ゾロアスター教はインドのヒンドゥー教の影響されながらも受け継がれます。 インドに移住したゾロアスター教徒は「パールシー」と呼ばれ、彼らがアゼルバイジャンにゾロアスター教を復活させることになりました。


同じ火を崇拝するヒンドゥー教インド人が18世紀にこの地を訪れ、火を見つけここに以前あったゾロアスター寺院を再建する。 18世紀に建てられたゾロアスター教寺院で宗教活動の場と隊商達が商業活動センターとしても活用していた施設です。 アゼルバイジャンにはゾロアスター信者は残っておりませんが、ゾロアスター教の習慣は今でも残っており、ゾロアスター教新年 3月21日に食べるパズラバ(PAXLAVA)とシェケルブラ(SHEKERBURA)は今でも食べられております。

我々もアゼルバイジャン レストランにてパズラバとシェケルブラを食べました。あまり甘くなく美味しいです。 またこの地方に限らずイスラム教に改宗するまでゾロアスター教があった国では、新婚夫婦が新居に入る前に火の周りを歩いて回ってから入る習慣もその一つです。 東大寺のお水取り行事もゾロアスターの名残りとも言われています。 ゾロアスター寺院の見学を終え、ガイドさんから、火の周りを半時計回りに3回廻り、お願いすると願い事が叶うと聞き、火の周りを3回廻りお願いをしました。


10月27日

Dagustu park (山の公園)、Bulvar (カスピ海公園)見学。

バクー市内は近代建築が立ち並び、建築ラッシュです。左側の写真はDagustu Park(山の公園)からバクー市とカスピ海を一望できる公園で撮影しました。写真ではわかりにくいかもしれませんが、建設ラッシュです。 右側の写真は有名なフレームタワーで、アゼルバイジャン 「火の国」を象徴する代表的な建築です。私たちが泊まったホテルの前でも新たなビルが建設中で火の国をイメージしたデザインのビルです。





昼食

色々な肉のシシカバブでした。日本では縄文時代は狩猟採取で、弥生時代から水田栽培の米農耕になり、今日に至っております。ステップ気候や砂漠にて行われている放牧は馴染みが薄く、シシカバブを食べるとオリエントに来たと実感します。 我々の先祖である縄文人は土器を作り、鍋料理で食料の範囲を広げ、今日の日本料理の原点になっています。焼く料理やスープの料理はアゼルバイジャンにたくさんありましたが、今回の旅行では鍋料理は見かけませんでした。


icheri sheher (旧市街)

バクーは二重の城壁に囲まれた城塞都市で細く曲がりくねった急勾配の道からなり、現在は12世紀に造られた内壁だけが残り、その内側の旧市街は「イチェリ・シェヘル(内城)」と呼ばれています。 12~14世紀に造られたこの石の門は、かつてシルクロードを行き交った隊商や旅人たちが行き交った門です。







宮殿の中にスチーム式の浴場があります。社交場だったかもしれません。 「グズガラスゥ」の名で親しまれる高さ29.5メートルの「乙女の塔」はいつ建てられたものか、何のための建物だったのか、わかっていませんが、土台の部分は紀元前5世紀に建てられた拝火教寺院にさかのぼるといわれでます。

伝説によれば、王女は王が反対する男性と結婚しようとしたので、この塔に閉じ込めた。悲しんだ王女は塔から飛び降り自殺をしたとのこと。 塔が完成した12世記はカスピ海の沿岸は乙女の塔の下まで来ていたそうです




10月28日

バクーから車にて5時間かけシェキへ移動。首都バクーから北西におよそ300キロ、大カフカス山脈の南側に位置するアゼルバイジャン第4の都市です。 バクーとジョージアのトビリシ、トルコを結ぶ交通の要衝にあり、シルクロードの中継地として繁栄し、養蚕がさかんなところで絹産業の中心地となっています。 絹の生産は長い間、中国王朝は養蚕や絹織物の技術を門外不出の秘伝としており、関所をかためて往来の荷物を厳しく調べ、蚕や桑の種の国外流出を防いでいました。 6世記頃に絹の製法が東ローマ帝国に入り、それ以降、絹の生産はヨーロッパでも行われる。

唐の時代 ホータンに嫁入りする唐の姫がホータン王に懇願され、髪に蚕と種を隠し国外に持ち出す絵が有名です。 シェキが絹の流通と生産の両方で繁栄したことは容易に想像できます。


途中で森の中にあるお茶屋で休憩。お茶でクタブを食べました。 アゼルバイジャンの伝統的な製法により作られた「クタブ」小麦粉の生地の中にラム肉や、ハーブ、野菜などを入れたクレープのような食べ物です。ヨーグルトを付けて食べます。なかなか美味しいです。

昼食

アゼルバイジャン風ワンタン、「ダシュバラ」これも美味しいです。ダシュバラは中国から来た料理? 餃子の変形? 中国から来た料理ではないと思います。 小麦の始まりは10000年前にさかのぼり中央アジアから中近東に住んでいた先住民たちが雑草の中から野生種の小麦を見つけたのが最初と言われています。 アーリア人(この辺に住んでいた原白人)が南下して麦の栽培を始めてシュメール文明を作ったと言われています。この地域はそんな小麦発祥地です。 中国から学ばなくでも自然に小麦粉の皮に肉などの具材を入れて茹で上げる料理は生まれたと思います。




キャラバンサライ Karvansarayにチェックイン

シェキ・ハーンによって18世紀に建てられたコーカサスでは最大のシルクロード商隊宿で、今でもホテルとして使われております。

入口の木の扉は大きく、 ラクダも楽に通れる大きさです。宿は想像していたより立派です。シルクロードのキャラバン隊の宿なのでもっと安作りの宿を想像していました。



Sheki khan sarayi (夏の宮殿)

18世紀にこの地を統治していたハーンの夏の離宮であった建物で、希望はありませんが色とりどりのベネチアングラスや絵画が施された壁、天井は美しいです。







Xan ve ailesi qebirsanligi (王様とその家族の墓)

アルバン(アルバニア)教会は伝説によれば1世紀末から2世紀初頭の『使徒の時代』にエリセウスによって始められ、 元々異教の教会であったものを使徒教会に変えて開かれたもだそうです。 骨が教会の周囲に残されています。写真は教会の真下にあった遺骨です。 ガイドのナルギズさんの話によると、キリスト教以前のこの地域の宗教は月を崇めることだったようです。







Qish sarayi (冬の宮殿)

冬の宮殿は夏の宮殿より一回り小さな建物で中の構造は夏の宮殿に類似しています。冬の宮殿はハーンの家族が主としてプライベートに使用した離宮です。







夕食

シェキ名物のピティを食べました。調理した羊肉に豆と玉ネギを壺にいれ、すりつぶしたもので、皿に小さくしたパンを入れ、壺からスープを皿に入れてパンと食べてから、残りの肉を食べます。少々脂っこいでが美味しいです。














10月29日

Chitma (アゼルバイジャンの伝統スカーフをシルクで作っている場所) 絹工場の直営店でスカーフ、絨毯を販売している。

Kishdeki Alban mebedi (キシュ村のアルバン教会)

2000年ノルウェー人が調査にきて今のアルバン教会の下に古い墓があることが分かりました。 遺骨を分析すると、身長は2メートルを超える人もいて、金髪で青い目の人もいました。 この事実からも、コーカサス一帯は印欧語族の原点であることがわかりました。コケージョン、白人の原点です。7500年前に気候変動でアーリア人(原白人)が移動し各地に広がります。 気候変動のたびに移動を繰り返しアーリア人は広範囲な地域に分布して印欧語族を形成しました。









Shekiden Qebelenin Nic kendine (シェキからガバラ地区のニジ村へ出発)

Nic kendindeki Alban mebedi (ニジ村の教会 (ニジ人はアゼルバイジャンの少数民族である)

アルバン教会を見学し、少数民族のニジ人が運営してるレストランでランチを食べました。

昼食

羊のシシカバブとドルマを食べました。ドルマは羊の肉、好みの野菜を葡萄の葉で包んだ中東ではポピュラーな食べ物です。ぶどうの葉を用いた料理は東ヨーロッパからベトナムまで広範囲な地域で食べられています。我々日本人は春に桜の葉で桜餅を包んで食べますが、こちらでは、塩漬けにして一年中食べています。















夕食

友人の勧めでベルーガ・キャビアを食べて白ワインを飲み、冠プロフをいただきました。冠プロフはピラフで肉とドライ フルーツ(プラム、 乾しブドウや栗)が入ったピラフをパイ生地で囲んだ料理。家庭では良く作るようですが、レストランは料理に時間がかかるので注文を断られることが多く、ナルギズさんに作ってくれるレストランを探してもらって行きました。













10月30日

飛行場に行く前にスーパーマーケットに行き、どんなものがどんな価格で売られているか見学をしました。品物も豊富にあり価格も安い。 地下鉄にも乗りました。写真撮影は禁止です。普通の一般的な地下鉄で撮影が禁止される理由がよくわかりません。旧ソ連時代の名残かもしれません。










ヘイダル・アリエフ・センター

イラク出身の建築家 ザハ・ハディドの設計の文化センターで、ナルギズさんによると、アリエフ大統領のサインを模倣した形になっているそうです。

昼食

お隣の国ジョージアのレストランでジョージアの代表料理の「ハチャプリ」チーズ入りのパン、を食べました。ジョージアのワインを飲みながら食べるハチャプリは美味しいです。 ところで、アルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアはワインの発祥地と言われています。 アルメニアとトルコにまたがるアララト山にノアの箱舟が流れ着き、ブドウを栽培し初めてワインを作った所とされています。 ついでに、日本にしかない甲州ブドウはコーカサス山脈南カスピ海沿岸(アゼルバイジャン)からのブドウと中国の野生ブドウが交配してできたブドウである事がDNA分析で分かりました。 夜、トルコ航空機で帰国しました。アゼルバイジャンは親日国家で人も大変親切な良い国です。ぜひ皆様も機会がありましたら訪問してください。