6月にMt.
Prospectのコミュニティバンドに混じってフランスに行って来た。パリ近郊のSevreという町とMt. Prospectが姉妹都市であるという縁でその公演旅行は企画され、指揮者を知っているだけで何のゆかりもない私も安くフランスに行けるという不純な動機でメンバーに加えてもらうことになった。
総勢50名の我々にはそれぞれホームステイのプログラムが組まれており、私はイギリス人の奥さん、フランス人のダンナの家庭に厄介になった。初めての夜、医療関係の翻訳をしている忙しい奥さんに代わって高校教師のダンナが美味しい家庭料理を振る舞ってくれた。アメリカだったら海外から客が来たら「おもてなし」としてまず外へ食事に連れ出すのではないかと思うが、他のメンバーもほとんどが家庭料理をご馳走になったようだった。これがフランスの誇る食文化なのかもしれない。
初めてのコンサートを終えた翌日、我々を歓迎する音楽会が市主催で行われた。そこでは地元の音楽学校のオーケストラ伴奏で、オペレッタの内容に合わせてそれぞれ派手な衣装を身につけたコーラス団の老若男女が歌を披露してくれた。ここは音楽の都おフランス!それもパリに隣接する大都会、なのになのに!ビックリ仰天!…。とっても下手だったんです。
ソリストは音程をはずしまくり、伴奏隊もヘナヘナしていて支えきれない。コーラスはほとんどメロディを繰り返すだけで「ハーモニー」という概念がないかのようにみえる。バンドのメンバー達はポカンと口を開けてしばらく呆然としていた。しかし演奏している人たちは、本当に楽しそうなのだ。彼らはフランスの古いオペレッタを何曲か歌ったが、母国語であるというだけでなく言葉を、曲を味わい歌っているのがわかる。「自分のもの」として昇華された音楽はとても魅力的で、時間が経つにつれてその良さに感動さえ覚えた。美味しいワインと持ち寄られた料理と共に、我々は素晴らしい歓迎を受けた。
日焼けした明らかに労働者のおじさんが嬉しそうに歌っている。横のハンサムな男の子はその笑顔につられるように微笑み返す。普段のお喋りをそのまま歌に置き換え、何のてらいもなくおおらかに歌うおばさん達。そこにヨーロッパにおけるクラシック音楽の歴史、奥深さを見たような気がした。こういう人たちに支えられてクラシック音楽は累々と受け継がれていくのだろう。今までもそうであったように…。彼らの屋台骨はクラシック音楽の歴史の浅い日本や、国そのものが若いアメリカからは想像も出来ないほど太いものであるということを見せつけられたような気がした。
しかし逆に考えれば、ヨーロッパで発生した一つの音楽形態を「クラシック音楽」と呼び、高貴な音楽のように扱って来たこと事態が元々おかしいのである。日本やアメリカで人々がクラシックコンサートに足を運ばなくなっているのは当然の成り行きなのかもしれない。共感できるものが体の中にないのだから…。
地下鉄や観光地で聞いたたくさんのストリートミュージシャン達の演奏も、それぞれに自己主張があり面白かった。一人で訪ねたプロバンスのアルルには(こんな田舎に4日も滞在してしまった)バイオリン2本、アコーディオン、ギター、ベースのジプシーバンドが唯一活動していて、夜は死んだような町アルルで退屈な私は彼らのグルーピーとなって追いかけて回った。全然上手じゃなくレパートリーも少なかったけど、楽しそうに歌う彼らの演奏には本当の「音楽」があった。
一週間の労働時間は35時間。たっぷり手間暇かけて家族、友達と楽しむ食事。マルシェ(市)で買った新鮮な野菜や果物。添加物の一切入っていない安くて美味しいワイン。失業率が高く、経済的にあまりパッとしないフランスだけど、なんと豊かなんだろう。お喋りな男前がわんさか暮らす人間くさい国。安いホテルでブルーチーズとトマトをおつまみにワインを飲みながら、ドビュッシーやラベルを生んだこの国に、いつか一度は住んでみたいなあと切に思った。
帰りのドゴール空港のカウンターに並びながらピープルワッチングをしていると、パントマイムの人やマペット使いなど、変な芸人がウロウロしていてセキュリティがそんなにうるさくなさそうなのがわかる。そこへ大きな犬を無理矢理引っ張って小走りに外へ出ようとしている淑女の姿がみんなの目を引いた。何事かと思いきや…。犬の非常事態だったんです。しかしその犬はこらえきれずに(おしっこじゃなくて…そのぅ・・大きい方)走りながら10メートルほどの距離に転々とまき散らして去って行ったきり、飼い主共々二度と現れなかった。空港内ですよ、空港!職員が見つけても笑ってやり過ごすだけでだーれも掃除をしようとしない。結局何処からか現れた掃除のおじさん達が始末するまで約30分。その間、いろーんな国の人がカートで引っ張ったり直接踏んづけたりして凄い範囲に広げてました。パントマイムの子たちが被害に遭った人を指さして笑ってたのが可笑しかったけど、入国していきなりウンコを踏んだ人にとっては嫌な国だろうなあ…フランスって…。
今回のお勧め
Claude A. Debussy「Petit Suite」
ドビュッシー「小組曲」
ドビュッシー(1862-1918)は20世紀を代表するフランス作曲家。ほとんど一生をパリで送った彼は印象派の文学や美術などから大きな影響を受け、それまでの長調、短調といった狭義から音楽を解放し、美しい「響き」を追求した天才と言われている。絵画の世界でモネなどに代表されるフランス印象派と時期が同じなので音楽にもそれは適応され、ドビュッシーは印象派の作曲家とされる。古典派(モーツアルトなど)やロマン派(ベートーベン・シューベルトなど)の音楽は一つのお話を語るように作品が書かれているのに対して、印象派の作品はムードや雰囲気などを音の色や響き、リズムによって断片的に表現し、それをモザイクのように合わせて一つの作品としていることが特徴である。日本はドイツが同盟国であったため、戦後もなかなか敵国フランス音楽を聴く機会がなく、それを聞いたときは誰もがあまりの新鮮さにビックリしたそうだが、それほど強烈な個性を、彼が導いた印象派の作品は秘めている。
先日「トレビアの泉」のテープを友人宅で見ていたら「ワーグナーは生涯3回不倫した」というのが出ていたが、昔の音楽家はパトロンによって直接生活が支えられていて売れっ子作曲家はいつも有閑マダムに囲まれていたから、不倫など珍しいことでも何でもなかったはずである。裕福な婦人と不倫に陥り子供まで作った恋多きドビュッシーも90へぇ位の人生を送っており、音楽も大変味わい深い。
この小組曲はピアノ連弾の為に作曲者自身が書いた物と、彼の友人Henri
Busser(1872~1973)が、ドビュッシーの生前にオーケストラ用に編曲したものが有名である。En bateau「小舟にて」Cortege「行列」Menuet「メヌエット」Ballet「バレエ」の4つの曲から成り立ち、初期の作品(1888年)でロマン派の影響が残っているものの、ドビュッシー独特の美しいハーモニーを聞くことができる。
1914年に勃発した第一次世界大戦にとても胸を痛め従軍すら考えたが、作曲することによって敵の破壊するフランス文化を守ろうとし、フランス古典形式で「家のないこどもたちのクリスマス」などの歌曲を残しているドビュッシー。今もし彼が生きていたら、一体誰の為にどんな曲を書いているのだろう。