7年前の夏にJamey
Aerbersoldというジャズの教育で有名な人が主宰するキャンプに参加した。月曜日から金曜日まで、朝8時半から夜中までの内容の濃い授業は刺激的で面白かったが、そこで私は大変なカルチャーショックを受けた。それは講師陣がまるで一般人だったからである。
勿論彼らはプロとしてあちこちで活躍している人であり、中には相当名の売れた人もいた。しかしキャンパスや食堂で見る彼らはまるで一般人。服装がラフなことは当然としても、話し方も行動も教え方もラフで「僕たちはたまたまジャズや音楽に関しての知識は豊富だけど、あなた達と何ら変わることはありません」と言っている風に思えた。
200人ほどの参加者を簡単な書き取りテストと演奏でクラス分けが行われた後、Jameyはこう言った。「アンサンブルのクラス分けに不満がある人はいつでも言いに来てくれ。理論のクラスは4つあるから自分の判断で勝手に変わってもよろしい。」私はそれを聞いて目から鱗が落ちる思いだった。大袈裟に思われるかも知れないが、これが本当の民主主義なんだと思った。実際Jameyを始めとした講師陣は、時間を惜しむことなく生徒の要望に応えようとした。
小学生から70代まで、参加者の年齢は様々だったが「楽しく音楽を学ぼう」という姿勢はみんな同じだった。「わからないことがあればどんなことでも聞いてくれ」とJameyが言ったように授業は質問で溢れていた。鋭い指摘をする小学生がいるかと思えばボケた質問をするおじいちゃんもいる。経験談まで披露する人やどんどん話がそれる人もいる。しかし講師はどんな発言にも嫌な顔せず真面目に答え、理解を深めようと努める。そういう姿勢に私は感動した。講師陣はとにかく「敷居の低い」人たちだった。低すぎてその中の一人とは結婚までしてしまった。
私は日本でこのような教育を受けたことがなかった。フルートの先生もピアノの先生も気むずかしい怖い人が多かった。しかしどの人も「あの人はゲイジュツカだから」ということで世間では通用していた。日本では一般人と同じ様な振る舞いをしない方が一流のゲイジュツカのように思われる傾向があるのではないだろうか。今思うと周りがその我が儘を許し、助長させていた。気分の浮き沈みを表に出し「説明」ということを拒否し、理不尽で不機嫌なちょっと特殊技能にたけた人を「ゲイジュツカ」と呼ぶ国に本当の文化はあるのだろうか。
4年前の夏に「尺八フェスティバル」と言う催しがコロラドであり、興味があり参加した。日本から今はもう亡くなった当時尺八界唯一の人間国宝が講師の一人として参加していたが、その先生の授業中、ある日本人がちょっと間抜けな質問をした。その人間国宝の先生は皇室の方のように気品があり、「イケズ」の概念の全くない人のように私には感じられた。彼はその質問に真面目に答えようとした。しかしその先生の取り巻きがそれを一瞬のうちに却下した。大勢の取り巻きが寄ってたかって「何をいうか、先生に向かって失礼な!この方は人間国宝であられるのだぞ!この非国民め!国賊め!アホ!」という態度を一斉にとったのである。これは顕著な例ではあるが、日本の教育はこのように行われ、次第に生徒達は質問しなくなるのだと納得した。
今年の夏、久しぶりにJameyのキャンプに参加した。理論のクラスでスラスラ真面目にノートを取る小学生から一枚メモ用紙を譲ってもらい、「By
the way, I知 Bob」と照れもせず小声で自己紹介するおじいちゃんを見ていて、アメリカの嫌な面をさんざん見てきてちょっと嫌気のさしたこの一年だったが、これからもしばらくはこの国にお世話になろうと思った。
今回のお勧めの一曲
フォーレ 「レクイエム」作品48
Gabriel Faure ・/span>Requiem・op. 48
今年の春のGood
Fridayに近所の教会へ出掛けた。フォーレのレクイエムを聴きに行く為に。独唱者がそれぞれ上手で、曲の持つ普遍的な良さに感動した。クラッシック音楽とキリスト教は切っても切り離せない。フォーレも教会のオルガン奏者として生計を立てていた。そもそも父親が校長を務める学校に付属した教会でフォーレが即興演奏をして遊んでいたところ、たまたまお祈りに来た盲目の老婦人がその才能を認め音楽教育を受けさせるよう進めたというエピソードが残っているくらい、教会とは深い関わりがある。土曜日に踊り明かして翌日の礼拝にそのままの格好でオルガンを弾きクビになるなどというエピソードも同時に残されてはいるが・#12290;
普通レクイエムというとローマ・カトリック教会の「死者の為のミサ曲」を指し、代表的なものは「グレゴリア聖歌」があげられる。20世紀を代表するフランスの作曲家フォーレの「レクイエム」は7楽章からなり、1887年に作曲されている。死者を安らかに天国へ送るための祈りの曲であるが、同時に残された者への希望にも溢れている。この曲を聞くたびに、汚れた魂が浄化されるような気分になる。個人的には天使の歌のように美しい4楽章の「Pie
Jesu」から、全てが許されるような5楽章「Agnus Dei」が大変好きで、私が死んだらこの曲を演奏して貰いたい。